自生地に行ってきた人の話を鵜呑みにするな!!

    近年、19世紀のプラントハンター時代のように、ランの自生地に行く人が多くなった。
    例会などでは、その紀行話、環境などスライドを交えながら説明など多く行われている。
    日本にはいい言葉がある。
    「百聞は一見にしかず」。
    
    ところが、蘭界の人が自生地にゆくのは・・・・「植物分類学的見地」である。
    花の咲く時期に行く。
       花の違いで分類する植物分類学の視点。
    雨期には行かない。
    冬には行かない。
    花の観察。
    その時期の環境。
    ほとんど日中の観察。

      問題は・・・・花が目的だから「プロトコーム」など眼中にない。
              ラン菌など眼中にない。

  
  19世紀から今日までのプラントハンターで、自生地で「プロトコーム」を発見、採取した人いないのではないか?
  宇井清太は知らない。
  全部・・・大株の採取。花の違いの観察。
  自生地でののラン菌の採取、観察、生態研究、繁殖など行った人は皆無に近い。

  ラン界という業界の歴史は、植物分類学と植物進化学から発生したものである。
  この歴史のDNAが今日まで続いている。
  19世紀。
  植物学と菌類の学問は別々に発生し、現在も続いている。
  植物学会と菌類学会は異なる学問である。

  この理由によって、植物分類学者は「ラン菌」に興味を示さなかった。
  原種のラン図鑑を見ても・・・・・
  各ランの原種に共生する「ラン菌」まで記述されたものは世界中を見ても1冊もない。
  ここに、ラン界の大きな問題、未開の領域が広がっているのである!!

  ところが、原種を栽培、ランを栽培した場合、
  自生地を真似るというが・・・・共生ラン菌削除した・・・・全然真似にもなっていない栽培法が行なわれて来た。
  自生地に行って観察したというが・・・ラン菌を見てこない、プロトコームを見てこない。
  そういうレベルでの自生地を真似る・・・・栽培法が本に書かれる。
  こういうレベルで原種がブームになればどうなる。
  正しい栽培法が確立されない段階でのブームは、枯らす栽培でしかない。
  「原種保存」など机上の論である。
  「原種絶種」である。
  事実、日本の現状は・・・・そういうことであろう。
  毎年夥しい原種が輸入される。
  全国各地の蘭展で販売される原種の株数。
  ほとんど「消費」される運命。

  写真家は花を撮る。
  ラン菌など関係ナイ。
  原種の本も・・・・原種の花。
  ラン菌など、プロトコームなど関係ナイ。

  ランの不思議?????テレビ。
   昆虫が花粉を運び受粉するところ。
   小さな種子が舞い飛ぶところまで・・・・。
   ラン菌が菌糸を伸ばし種に共生して・・・・プロトコームを形成、発芽する・・・・
   自生地のそういう映像は見たことはない。
   自生地においてプロトコームを見つけることは砂浜でダイヤモンド、真珠を見つけるより困難であろう。


  
  ラン菌。
  宇井清太はようやくラン菌に新種を発見した。
  SUGOI-neを開発した。
  このことによって、ラン栽培の上記のような問題点が浮かびあがってきた!!
  これから本当の栽培法が確立される。

  宇井清太のこのホームページに記述に、あるいは浅学の為の間違いもあろう。
  だが、SUGOI-neでランの種子が発芽したという実証は、
  自生地におけるラン菌、プロトコームの状態を再現したということにおいて、
  大きな栽培上の間違いはないと考えられる。
  これまでランの自生地再生は、いかなるコンポストでも不可能であった。
  だが、SUGOI-neなら絶滅したランを、自生地再生できる道を拓いた。

  山から・・・ランと取ることは簡単で誰でも出来る!!
  だが、絶種した山をランのアルカディア・・・故郷によみがえらせることは出来なかった。
  SUGOI-neなら出来る!!



  

  カトレアは雨期、乾期の植物。
    自生地は熱帯地方。
    十分な温度のある場所に自生している。
     にも関わらず「休眠」する。
    なぜか?????
    雨が降らない時期があるからである。
    灼熱の高温で雨が降らなければどうなる???
    泣き泣き耐えるしかない。
    喬木は葉を落として「休眠」する。
    耐える・・・・。
    日本の山に木は寒さに耐えるために
    「休眠」するが、中南米の植物の休眠は
    水がないから「休眠」する。

    日本のカトレア栽培者は、このカトレアの休眠
    の解釈が間違っている。


    秋から冬温室の最低温度15℃以上なのに
    乾燥させてきた。
    水ゴケ栽培では根腐れ起きたからである!!

   水ゴケの決定的な欠陥である。
   この栽培法が・・・正しい!!
   とんでもない。
   カトレアは泣き泣き耐えているだけ。
   バルブに水を貯蔵しているから・・・・
   こんな拷問のような乾燥に耐えられる。
   これを喜んでいると解釈する!!


  良く考えてみてください???
   朝の最低温度15℃というのは
   日本では6月の気候である。
   6月にカラカラの乾燥なら・・・・・・
   日本もサバンナ、砂漠になッてしまう。


   だから・・・SUGOI-ne栽培では、
   秋から冬でも、温度があれば・・・・
   6月の湿度にしなければならない。
   そういう潅水を行なっても根腐れは起きない。
   そのように作った!!
   これはラン菌の働きである。

  このようにすると、カトレアはほとんど休眠しない。
  芽だしが早くなる。
  一年に2回咲くようになる品種もある。


  最低温度10℃ある時期に、温室で、
  カラカラ乾燥させると・・・・・
  ラン菌の繁殖温度だから・・・・・
  ラン菌が生きるために猛烈に水分を欲しがる。
  SUGOI-neから、カトレアの根からも
  水分を奪う。
  SUGOI-neの鉢内はカラカラどころか
  「カツオブシ」のカチカチになる。
  
  このような状態では生長どころか、
  蕾も大きくなれない。
  勿論開花など出来ない。
  バルブ内の水分のみでは足りないからである。
秋から冬の期間になると・・・・
カトレア栽培の一部の人から蕾の黄変、落蕾の相談が寄せられる。
なぜ、秋口まで素晴らしい生育をしていたSUGOI-ne栽培のカトレアが、秋、冬にになると調子を崩すのか?
原因は簡単である。

カトレア栽培の人に特に多い固定観念である。
日本では・・・・昔の人が考案した・・・秋から冬にカトレアを休眠期・・・乾燥させる・・・固定観念である。
暖房機のなかった時代、日本でカトレアを栽培する場合、限界に近い最低温度で秋から冬を越さなければならなかった。
そこで・・・明治から昭和30年代までの栽培者は、
晩秋から冬の期間、根腐れを回避するために・・・・生存ギリギリまでの乾燥させる栽培を行った。
この技術が・・・・現在まで脈々と「カトレア栽培の常識」として定着している。
蘭の本にはこの常識が「絶対」のものとして、どんな本にも書かれてきた。

問題はここである。
栽培歴10年、20年・・・ベテランほど、この晩秋から冬の期間「乾燥させる」ことが身体に染み込んでいる。


こういう人がSUGOI-neで栽培すると、水ゴケ栽培の「乾燥」をカトレアに与えてしまう。
室内温度を十分暖房しながら・・・・。
カトレアにとっては「拷問」に等しい乾燥になる。
自生地では乾期といっても「プロトコーム」が生きられる湿度が必ず、絶対にあるのに!
ラン栽培して花を咲かせたいという思いの強い人は・・・・
特に「種子が芽生える湿度」など考えない。
自分にも「赤ちゃん時代」があったのに・・・・だ。
ラン栽培は・・・4,5年「育てる」ことを楽しみする園芸である!!
花は・・・その結果の産物である。
小さな苗が一日一日大きくなるのを、自分の喜びにするのが・・・・ラン栽培である。
小さな苗が生きられる湿度が自生地なのである。

ここまで書けば賢明な人なら蕾が黄変、落蕾の原因が理解出来よう。

カトレアの立場に立てば、夏に元気に光合成して働いて、
せっかく作った蕾をダメになどしたくないのである。
植物も、カトレアも花を咲かせることは、人間のために咲くのではない!!
「子孫」を残し繁栄させるためである!!
ところが、宇井清太蘭展して解かったことがある。
花は「人間」のために咲くと思っている人がいるということ。
蘭作りの中にも・・・こういう考えの人がいたという驚き。
こういう人は・・・蘭を自分が咲かせた・・・という。
「咲かせられない」!
ここから「蘭の花の咲かせ方」という本のタイトルが生まれる。
自生地では、人間など必要ないのである。

SUGOI-neは自生地を再現したコンポストである。
ならば、我々がSUGOI-ne栽培で行うことは・・・・・
自生地の種子が芽生え、プロトコームが生きられる環境を温室、栽培場に再現することである。
けして花を咲かせるための作業、仕事、技術ではない。
そうすれば・・・自然とランは・・・健康な「妊娠」できる花を開く。
妊娠できない花は、自生地では花ではない!

蕾が黄色になって落ちるようでは・・・・妊娠以前の問題である。
女性の栽培者なら・・・このこと解かるはずである。
体調が悪ければ・・・受胎できない。
受胎し妊娠しても「流産」する。
カトレアの蕾の落蕾というのは「流産」である。


栽培の中途半端な人は、この「流産」をSUGOI-neに責任転嫁する。
SUGOI-neがそんなに悪いものなら、花芽ができるまで光合成など出来ない!!

この「流産」の原因は、冒頭にも書いたように、
秋から冬にに・・・水ゴケの乾燥を・・・・固定観念の潅水で・・・・SUGOI-neに行ったからである。
カトレアの自生地。
最低温度が15℃もある!!
地球上の植物で、最低温度が15℃の条件で「休眠」する植物などほとんどない。
ところが、カトレア栽培では、この温度で「休眠」させる!!
自生地では雨が降らないから、カトレアは泣き泣き「休眠」を余儀なくされているのである。
ここの解釈が・・・・カトレア栽培者の多くは間違っている。
例えば、地球の気候が変化して、カトレアの自生地に一年中雨が降るようになったら・・・・
カトレは「休眠」などしない植物になる。
カトレアの蕾が・・・乾燥させると「開花」するのではない。
  カトレア栽培の失敗 クリック

カトレア栽培の最低温度12から18℃という温度を考えてみる。
この温度は日本の6月の温度である。
6月といえば初夏。
日本の植物な最も盛んに栄養生長しなければならない時期であり、それを可能にする温度である。
この時期、キウリ、トマト、多くの草花に、カトレアのような乾燥を与えたらどうなる>
枯れる。
収穫ゼロ。
カトレアの自生地では、この十分な栄養生長する温度の時、雨が降らない過酷な場所である。
カトレアは、自生地では負け組みの植物だから、こんな不毛の場所しか残されていないに過ぎない。
好き好んで・・・こんな場所で生息しているのではない。
この温度は・・・・蘭菌にとっても最も盛んに繁殖、生長しなければならない!
こういう条件の温度の時、潅水を絞って乾燥させた場合はどうなるか・・・ということ。
蘭菌とカトレアの根の水分争奪戦が展開されることになる!!
戦いが起これば・・・カトレアに勝ち目はない!!
蘭菌の菌糸はカトレアの根の内部にも張り巡らされている。
根の水分をも奪ってしまう!
カトレはは「脱水症状」。
根は「カツオブシ」になり、バックの根はボロボロ。
蕾は流産。
ブログにも書かれるが・・・・SUGOI-neは根をボロボロに腐らせる・・・となるが、
これは「根腐れ」ではない。
乾燥させたために蘭菌の菌糸が水分を奪った根の残骸である。
SUGOI-ne栽培での失敗は・・・・・
カトレア栽培では秋に起こる!!
カトレア栽培というのは、サバンナに近い過酷な場所を再現している特種な栽培技術が定着している。
最低温度15℃で・・・・乾燥・・・という技術は、
一部の特種な植物・・・・・カネナルキ、月下美人、クジャクシャボテン・・・に近い。
SUGOI-ne栽培で、秋、冬もオシボリの湿度で栽培すると・・・・ほとんど休眠しないことがわかってきた。
ということはカトレアの休眠は、乾燥するから、雨が降らないから・・・・
仕方なしに、泣き泣き生長を止めている・・・に過ぎない。
水ゴケはカトレアに適さないから、少しの多湿で直ぐに根腐れが起こる!!
このために、秋から乾燥させないとダメだった!!
だから、日本ではカトレアに切花栽培はほとんど失敗して、アメリカのような大鉢の切花栽培は成立しなかった!!
カトレアの温室は・・・
温度が十分あるわけだから・・・・休眠などしたくないのである。
したがって・・・・
SUGOI-ne栽培では、秋から冬期間も・・・・室温が15℃以上に加温している場合は、
絶対に水ゴケのように「カラカラ」の乾燥をさせてはならない。
プロトコームが生きられる湿度を保つこと。
リンゴの皮を剥いたときの湿度。
バナナの皮を剥いた時の湿度。
オシボリの湿度。
この湿度をやれば・・・自生地再現湿度だから「流産」することはない。
だから宇井清太は公開した。
「ペクチン潅水法」を。

このペクチンというものを、これまで、日本の、世界の蘭世界では・・・・
誰も記したものはいない。
だから「乾燥の定義」がラン栽培になかったから、カトレアの蕾の「流産」も起こる。
SUGOI-neには蘭菌がいる!!
「カツオブシ製造」にしてはならない!!

ベテランほど・・・このペクチン、ラン菌、カツオブシという宇井清太の論文に抵抗感がある。
プライドが台無しになるからである。
ベテラン、中堅のラン歴の人は、ほとんど「自分が主役」の感覚。
ランの「立場」など考えない。
ランから見て自分の栽培を考えない。
自分の判断で勝手に潅水、肥料、管理を行う。
考えてみると・・・ほとんどランの本当の姿など人間にはわかっていないのに・・・・

植物の潅水は・・・・
植物が水を要求しているとき要求するだけあたえればよいこと。
鉢に植えて観賞、栽培するというのは、人間の身勝手な考えから考案された方法、テクニックに過ぎない。
地球と隔絶する鉢というものは、ランから見ればありえない空間、エリアである。
自生地には鉢などない。
それでもランは生き続けて来た。
それを私たちが鉢に植えた途端におかしくなる。
花芽が「流産」する。
コンポストが何であれ、カトレアが喜ぶことをしていればよいのである。
SUGOI-neで植えたら、水ゴケと少し違う潅水をしてカトレアが喜ぶようにすること。
ラン菌が喜んでランと愛し合える湿度にすればよいこと。
ラン菌のことがこれまでのコンポストになかった!
ランがラン菌と共生しているのを知りながら、ラン菌のいない水ゴケで植えてきた。
ランの立場に立てば、とんでもない環境を与えられてきた。
だから、ランの結果は全て自己責任!!
ランを作って20年程度経過したとき・・・・・非常に悩む人おおい。
作れば作るほど難しくなる。
わけがわからなくなる。
蘭展で賞も取れなくなる????
ラン作って5年、10年頃、一番賞を取れる!
オレが咲かせた!
そういう考えになる。
小細工を覚えてくる・・・。
ところが・・・・問題はその後に出てくる・・・・。
ランの進化の奥深さは・・・・小細工の技術ではどうにもならない。
株の勢いを持続できないという問題に突き当たる。
SUGOI-neで植えても何がなんだか解からない・・・という自体になる。
花を咲かせることに目標を置くと、必ずこの問題に突き当たる。
壁を破れない!
カトレアの蕾が流産するのも・・・SUGOI-neだからと考えてしまう。
カトレアを主役にしたラン栽培に方向転換出来るか否かの問題。
ここまで来ると・・・人生観の問題である。
自然の法則は奥が深いのである。
こんなに深くランと付き合う人いないから、輸入業者は生きてゆける。
秋祭りの金魚すくいの金魚がほとんど死んでくれるから、商売が成立つ。
カトレアの蕾が流産する栽培レベルなら・・・
果樹栽培なら全滅、経営破たんである。
トマトもきゅうりもカボチャも・・・・実を収穫できない。
ラン栽培は花を見るものだから・・・・
ランもトマトも同じなのである。
植物の立場に立てば・・・・・。
種を実らせて子孫を残すためにのみ花を咲かせる。
ランから見れば・・・蘭展での賞など・・・・意味がない。
人間の身勝手な評価に過ぎない。

SUGOI-neは一つの「革命」である。
蘭界に植物学者が多くいるのに、なぜ「ペクチン」が見落とされてきたのか?
こういう植物の組織・・・根の根本の機能が学問的に、
科学的に研究されてこなかったのか?
宇井清太は不思議でならない。

ペクチン潅水法で潅水すれば・・・・カトレアの蕾の流産は即座に解決する。
一口に言えば、秋口から潅水を絞ったために、ラン菌がSUGOI-neのカツオブシを製造し、
その後に潅水しても、蘭の根が水に在り付けなかったのである。
「蘭菌との共生関係」というのは・・・優しい関係ではない。
食うか食われるかの場面もある。
人間の夫婦、婚姻関係と極めて似ている。
・・・・あんなに愛して肌を重ね、吐息を重ねたのに・・・・離婚するときは!
蘭の世界、自生地の世界は深遠なのである。

花を咲かせた、咲かせる・・・・そんな薄っぺらな世界ではないのである。
どうも、近頃の流れとして蘭の世界は軽く、浅くなった。
「寄せ植え」のガーデニング。
素敵ね、可愛いね・・・のガーデニング。
こういうレベルの感覚ではSUGOI-ne栽培は成功しない。
何千年食べてきたウナギ。
昨年・・・ようやく産卵場所がみっかった。

蘭の自生地における発芽、プロトコームというのは、ウナギと非常に共通するものがある。
植物分類学という学問とは異なる分野である。
植物分類学は「違いがわかる」人が新種を発見出来る。
SUGOI-ne栽培は「植物発生学」の分野。
蘭菌の分野は最も研究が遅れた・・・未だに謎の世界である。
宇井清太のランキン発見によって・・・・新たな世界がこれから開かれてゆく・・・。
全く異なったラン世界、蘭栽培法が確立されてゆく。


だから注意してください。
これまでの知識、技術、固定観念でSUGOI-neを考えないこと。
鉢の中では、全く違った世界が繰り広げられているのである。

 
   カトレアの蕾 黄変、落蕾の原因とSUGOI-neについて
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